串本に移住して10年が経った
わたぐも
10年前の今日、荒船海岸にバイクでやって来てテントを張った。

大学卒業後は就職などせず、そのままここに来て「海辺で一人静かに暮らす」というライフスタイルを選んだ。
暇な時間はいくらでもあったので興味のある楽器の製作をはじめた。それが職になって、テレビで紹介され、スタッフを雇うようになった。
【串本で暮らして4年】という昔のブログ記事を見てみたら
「収入手段を今後、見つけていきたい。楽しいと感じる事に対して打込む中でお金を得られるようになるのが一番だとは思うが、それは中々・・・、難しい・・・。」
と書いてあって、自分はそれが見つけられたじゃないかと思ってなんだかしみじみした。
あの頃は理想の暮らしを作ることはできてもその暮らしの延長で手に入るお金は少なかった。
楽器製作に関しては自分にはピッタリの仕事だったのだと思う。でないとこんなに物事はうまく進まないと感じる。もちろん今に至るまでは色々な壁を乗り越えてきたわけだけど。
楽器製作者にとって一番大事なことは理想の音色を常に追求することだと思う。けど販売しているとそれ以外のことで頑張らないといけないことがあったりする。
過去に同じ楽器を作っている同業者が販売やめるよう要求してくることがあった。あの時は相手からは色々なことを言われ嫌な事されたわけだがそれに負けず正当に戦って販売を続けて本当に良かったと思う。でなければ多くの人に喜んでもらえるような楽器を届けることができなくなっていた。それは自分だけでなく色々な人にとっても、もったいないことだと思う。
人を雇いはじめて1年以上経った。今はさざなみドラムを自分含め4人で作っている。
「海辺で一人静かに暮らす」というのが昔の自分のライフスタイルだったが今はいつも誰かがこの家に来て楽器の製作音が響いている。自分の暮らしもずいぶん変わった。時々、静かな暮らしが恋しくもなるが、今は到着を待っている多くの人に自分の楽器を届けたい。


大学卒業後は就職などせず、そのままここに来て「海辺で一人静かに暮らす」というライフスタイルを選んだ。
暇な時間はいくらでもあったので興味のある楽器の製作をはじめた。それが職になって、テレビで紹介され、スタッフを雇うようになった。
【串本で暮らして4年】という昔のブログ記事を見てみたら
「収入手段を今後、見つけていきたい。楽しいと感じる事に対して打込む中でお金を得られるようになるのが一番だとは思うが、それは中々・・・、難しい・・・。」
と書いてあって、自分はそれが見つけられたじゃないかと思ってなんだかしみじみした。
あの頃は理想の暮らしを作ることはできてもその暮らしの延長で手に入るお金は少なかった。
楽器製作に関しては自分にはピッタリの仕事だったのだと思う。でないとこんなに物事はうまく進まないと感じる。もちろん今に至るまでは色々な壁を乗り越えてきたわけだけど。
楽器製作者にとって一番大事なことは理想の音色を常に追求することだと思う。けど販売しているとそれ以外のことで頑張らないといけないことがあったりする。
過去に同じ楽器を作っている同業者が販売やめるよう要求してくることがあった。あの時は相手からは色々なことを言われ嫌な事されたわけだがそれに負けず正当に戦って販売を続けて本当に良かったと思う。でなければ多くの人に喜んでもらえるような楽器を届けることができなくなっていた。それは自分だけでなく色々な人にとっても、もったいないことだと思う。
人を雇いはじめて1年以上経った。今はさざなみドラムを自分含め4人で作っている。
「海辺で一人静かに暮らす」というのが昔の自分のライフスタイルだったが今はいつも誰かがこの家に来て楽器の製作音が響いている。自分の暮らしもずいぶん変わった。時々、静かな暮らしが恋しくもなるが、今は到着を待っている多くの人に自分の楽器を届けたい。


